『無言の激昴』シン・ユークン(忻鈺坤)監督・東京ティーチインレポート
『無言の激昴』シン・ユークン(忻鈺坤)監督・東京ティーチインレポート
『心迷宮』シン・ユークン監督の新たな社会派推理サスペンス!
3つの線が1つになるときにその謎が明らかとなる!
日中両国の国交正常化45周年を記念して、国際交流基金と東京国際映画祭、上海国際映画祭が協力して、日本と中国の映画を通じた映画交流イベント・中国映画祭「電影2018」が2018年3月8日(木)〜10日(土)東京、3月10日(土)〜12日(月)大阪、3月12(月)〜14日(水)名古屋にて開催。そして、3月9日(金)に中国や世界の観客を驚かせた『心迷宮』(2015年)のシン・ユークン監督の第2作目『無言の激昂』が中国に先立ち、東京のTOHOシネマズ六本木にて上映された。上映後には、初来日のシン・ユークン(忻鈺坤)監督が登壇して、東京会場の観客たちと質疑応答を行なった。
◼️ティーチインレポート
――シン・ユークン監督、ようこそお越しいただきました。みなさまにひと言、ご挨拶をよろしくお願いいたします。
東京のみなさま、今日は本当にありがとうございます。今日は普通の平日でこんな雨の中を、わざわざ私の映画を観にきてくださって本当にありがとうございます。
――『無言の激昂』は非常に衝撃を残す社会派スリラーだといって良いと思います。まず、背景となる中国北部の土地がどういう地方なのか、その場所の特色を教えてください。
この映画のロケ地は全て中国の北方です。内モンゴル地域のバオトウ(包頭)というところです。私はそこで育ちましたので、私自身にとっては本当によく知る地域です。自分がよく知る環境で撮影を進めていきました。
――少年が行方不明になることが物語の筋になっていますが、実際に子どもの失踪事件などの事実から着想を得られたのでしょうか。
撮影をするときには、子どもの失踪事件を中心に描こうとしたわけではありません。子どもの失踪事件を引き金として、様々な社会問題が見えてくるという位置付けにしました。この映画を観ていただくと分かるように、ストーリーに3本の線がからまっており、それらが1本の線になっていくストーリーにしています。主人公のチャン・バオミンの線が一番重要というわけではなくて、謎を解いていく鍵はシュー弁護士の周囲にあるわけです。
――様々な社会問題とおっしゃられたのですけれども、シン・ユークン監督が育った場所にも採掘源を売って補償金をもらったり、そこで意見の衝突が起きたりするのは、実体験に基づいているのでしょうか。
私自身だけではなくて、その周辺の友人や親戚などの中から、こういった話を聴くことが出来ました。不法な採掘が行われていることが、ちょうどマスコミに大きく取り上げられるようになった時期でもありました。例えば、不法な採掘が行われて、環境汚染を引き起こしている。それが非常に大きな社会問題であることから触発されて、この脚本を描いて主要なテーマとしました。その中で、どの物語を主としていくかということになりました。様々な人物が登場する中で、人々は欲望や野望をもっています。そういうものを構成する社会背景というのが、どういうものなのかというところから、物語を組み立てました。この映画の中に出てくるような様々な事件や社会問題は、最終的に「いったい誰が責任を負うべきものなのか」ということを追求したいと思いました。この作品において描きたかったことは、様々に異なるものが、表面的に見るとそれぞれ単純な社会的事件であるかもしれないのですけれども、一見すると、そういう風に見えるのですが、そこを少し手法を変えて物語ることで、1つの別の側面に1つの層を剥がした次の社会的問題がそこに現れてきます。そこを直接的に描かないで、段々と観ているうちに分かってきて、観客のみなさんそれぞれが、様々に答えを考えることが出来る。そういう深いものを提示したいと思いました。
――たいへん面白く観させていただきました。ありがとうございました。2004年が舞台ということで、その当時の中国では、日本から輸出されたウルトラマンティガという、本編でも引用されているウルトラマンが人気を博していたと承知しています。そういった時代性を表現するためだけでなく、あそこまで多くウルトラマンをフューチャーされたのには何か理由があってのことでしょうか。
確かにその時代は、中国の北方では採掘が様々な問題を呼び、非常に大規模な採掘が行われていた時代です。そこにウルトラマンが出現するのですけれども、自分自身の年代はウルトラマンを見て育った年代ではなくて、私よりも少し下の子どもたちがウルトラマンを見て育ってきたと思います。このウルトラマンにどういう意味を持たせたかといいますと、悪に向かう、チャレンジするという精神です。ウルトラマンには悪と戦うことが託されているわけですけれども、悪に向かっていく存在であっても、やはり非常に弱いということ。ここでは、弱い虚しさをメタファーとして使っているわけです。その現実と童話の間の落差が異常に大きいということです。ウルトラマンの物語の世界では、正義の味方が悪を潰していくわけですけれども、実際には現実というのは、そんなに簡単に悪を潰すことはなく、無力なんですね。無力である存在であるということも託しました。今、ご質問をいただいて本当にうれしいです。そういう風にディティールに注目をしてくださったということは、たいへん大きな意味があります。やはり監督というのは、映画の中の小道具ひとつひとつにとっても意味をしっかり持たせて撮っていますので、そういう小さな部分が実は主要なテーマと結びつく意味があるので、とてもうれしかったです。
――今、私は日本に留学をして映画を勉強しています。あの『心迷宮』の監督が日本に来るということで、こうして観に来ました。『心迷宮』を観たときの衝撃を今回は感じられませんでした。なぜかというと、今回は自分の予測通りにストーリーが展開して、ある程度予測したところに落ち着いたからです。『心迷宮』のときには、自分の考えとはどんどん離れていくところがあって意外性がありました。どんどん裏切られていって、たいへん面白くて、『心迷宮』を2回観たほど大好きです。今回は少し違っていたと思うのですけれども、その理由として、ネットでは今回は割とバジェットが大きくて、予算が豊かだったことがあげられていました。私の個人的な推測だと、ストーリーの問題ではないかと思いました。
こうして、わざわざ観に来なくても良かったかもしれませんね(笑)。ずっと注目をしてくださってうれしいです。ありがとうございます。最初の長編の『心迷宮』のときには、あまり複雑なことは考えずにとても自由に撮りました。自分の気持ちも楽に撮れたわけです。今回は、『心迷宮』の監督ということで非常に期待が大きかったと思います。しかし、期待というのは往々にして新しい映画を壊すことなると思うのです。実は、この『無言の激昂』の方が企画としては先に出来ていました。脚本も『無言の激昂』の方を先に書いていたのです。しかし、様々な理由によって、この『無言の激昂』が2作目となり、先に『心迷宮』を撮ることになりました。
確かに『心迷宮』の構成は複雑で入り組んでいます。今回は簡単に見えるのですけれども、そのストーリーに合わせて構成を考えました。2本目になるので、もっと自由度が大きくなるという風に考えていました。お金の予算面でも豊かになって資金の問題もなくなるので、もっと違う撮り方ができるという風に思っていました。ストーリーとしては、こちらの方が少し弱いのかなと思います。構成の複雑性からすると、『心迷宮』の方はパズルのように入り組んでいて、観客にある種のパズルを解いていく、謎を解いていく快感をもたらしたと思います。
一方、『無言の激昂』は『心迷宮』のスタイルとは少し異なっています。こちらも、何か解かなければいけない謎はあるのですけれども、次々と現れる謎を単純に解いていくのではなくて、映像の中に出現する色々な人物をもっと深く読み解いていかなければ解けないところがあります。単純にパズルを解くこととは違うために、その辺りが『心迷宮』とは違うという感想を観客にもたらしたのかと思います。今回は、プロの本当に素晴らしい役者さんを起用して制作出来たことで、もっと自分の新しいステップに踏み込めて、より完全な映画を目指すことが出来るという風に思って撮りました。
――2つ質問があります。1つ目は内モンゴルのバオトウ(包頭)で撮影をしたということで、バオトウの採掘の問題を取り扱っておられます。社会問題を取り扱ったことで、撮影のときに周辺から何らかの干渉を受けることはありましたでしょうか? 2つ目はバイクのナンバープレートはどういう意味なのでしょうか?
1つ目の答えですけれども、採掘の問題が非常に色々とあったのが2004年の頃です。当時、この採掘場の色々な社会問題が起きました。しかし、撮影をするときに、地域の政府や企業から何らかの干渉を受けることはありませんでした。すでにそこで採掘をしてどんどん掘っていく段階に入っており、しばらくすると掘り尽くして、そこが無くなってしまうことが分かっていたので、今の段階でその情景を撮ることが記録の意味もあり、わりと好意的に受け入れられました。撮影に関しては、とくに問題はありませんでした。
2つ目のバイクのナンバープレートについては、今のご質問の方がものすごく細かいところまで観てくださっています。バイクのプレートは、本当はモンゴルのモンという字を使うわけです。でも、そうではなくて、それによく似た違う字を採用しました。これは美術の小道具さんの意見から、そういうものが作られました。ナンバーの数字は1984という有名な小説の引用です(1949年に刊行されたイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説)。それにモンゴルのモンという字と組み合わせてナンバープレートを作ったわけなのです。
――ところでシン・ユークン監督は、羊の肉はお好きではないのでしょうか。
いえいえ、羊は大好きですよ。
――最後にひと言、ご挨拶をお願いいたします。
いつもこのような場に来ますと、本当になかなか時間が足りなくて、もっと語り合いたいと思うことが毎回あります。どういう風に映画を読むかということは、監督にとっても映画をどういう風に発酵させていこうかと色々と悩むところです。観客にとっても、1本の映画を観て、どういう風に理解をして、自分の理解をどんどん熟成させて何かしらの答えを得ることも、映画の楽しみ方の1つではないかと思います。ぜひ「どういう意味だったのか」と、ゆっくりと考えていただければうれしいです。今日は本当にどうもありがとうございました。
――シン・ユークン監督は、実は、昨日(3月8日)がお誕生日だったそうです。監督、おめでとうございます。そして、みなさま、ありがとうございました。
みなさま、ありがとうございます。
シン・ユークン監督は、中国のインディペンデント映画界を代表する若手の監督の1人である。第29回東京国際映画祭でも上映された、一体の焼死体が静かな村に波紋を巻き起こした『心迷宮』(2015年)は第71回ヴェネツィア国際映画祭のイタリア批評家賞最優秀新人監督賞をはじめ、世界で高い評価を受けている。当時、低予算で制作されたと伝え聴く。今回の『無言の激昂』は、それよりも先に企画されて脚本にも着手していたそうだ。また、初来日のオープング・セレモニーでシン・ユークン監督は、日本の映画関係者が自分の文化や風土などから、どのように映画を作っているのかという点に関心があると語るように、中国の北方の地域の文化や風土も鮮明に描かれている。その中には、羊の肉を美味しく食べるシーンなども豊富で、社会問題や深い物語とともに、地域の特色や生活様式なども色濃く伝わってくるたいへん素晴らしい作品である。2018年3月11日(日)の大阪でのティーチインレポートも合わせてお楽しみください。
[スチール:久保昌美/文:おくのゆか]
◼️シン・ユークン(忻鈺坤)監督プロフィール
シン・ユークン(忻鈺坤)、1984年生まれ、北京電影学院撮影学科卒業、処女作『心迷宮』は第51回台湾金馬奨(ゴールデンホースアワード)最優秀脚本、最優秀監督にノミネートされた。前作の長編デビュー作『心迷宮』が海外で多数の映画祭に出品、受賞。
・第71回ヴェネツィア国際映画祭 イタリア批評家賞最優秀新人監督受賞
・第19回釜山国際映画祭 アジアの窓部門出品
・第51回トルコアルトゥン・ポルタカル映画祭 コンペティション部門出品
・第30回ポーランドワルシャワ国際映画祭 コンペティション部門最優秀作品受賞
・第15回福岡国際映画祭 出品
◼️『無言の激昴』(原題:暴裂无声)〈中国未公開〉
≪ストーリー≫
寒くてどんよりとした中国北方の冬、鉱山労働者であるチャン・バオミン(張保民)の息子が行方不明になった。チャンは、事故によって話すことができない。彼は、わが子を捜し求めるうちに、この失踪事件が違法採掘をし続ける鉱山オーナーと深く関わっていることに気づく。破壊された環境、消えたわが子、汚れた心、荒野で声なき怒りが広がっていく。
写真:︎©︎Bingchi Pictures
監督:シン・ユークン(忻鈺坤)
出演:ソン・ヤン(宋洋)、ジャン・ウー(姜武)、ユアン・ウェンカン(袁文康)
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