日中映画交流史 「『君よ憤怒の河を渉れ』と中国」 講演レポート
日中映画交流史 「『君よ憤怒の河を渉れ』と中国」 講演レポート
中国で空前絶後の大ヒット映画『君よ憤怒の河を渉れ』
劉文兵氏が8億人が観たその要因を解説
2018年は日中平和友好条約締結40周年であり、日中両国の政府は映画製作を通じた交流を促進するために、日中映画共同製作協定の締結に向けた準備を進めるなど、日本と中国の映画交流が新しい段階を迎えつつある。今回、文化庁の日中映画人交流事業の一環として、特集上映会が開催された。
その第1弾は 『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)、『始皇帝暗殺』(1998年)の中国を代表する世界的巨匠チェン・カイコー監督を迎えた回顧上映「チェン・カイコー特集」が開催。第2弾となる今回は、日中映画交流史に名を刻んだ諸作品の特集上映「特集 日中の架け橋となった映画たち」として、2018年2月26日(月)に東京千代田区の神楽座において、野村芳太郎監督『砂の器』(1974年)、佐藤純彌監督『人間の証明』(1977年)とともに、高倉健主演、佐藤純彌監督『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)の上映後に劉文兵氏による日中映画交流史の講演 「『君よ憤怒の河を渉れ』と中国」 が行われた。
⬜️ 中国の約8割が観た『君よ憤怒の河を渉れ』
こんばんは、『君よ憤怒の河を渉れ』はいかがでしたか。日本において、この映画は1976年の公開当時は大きな反響を呼ぶこともなく、その後の日本では、ほとんど忘れ去られて省みられなくなった作品の一つでした。それに対して、1978年の中国では、社会現象になるほどの熱狂的な人気を巻き起こしました。調査によりますと、約8割の中国人がこの映画を観たといいます。私自身もその時代の経験者でもありまして、ちょうどこの映画を観たときに私は10歳だったんですね。入れ替え制の映画館でこの映画を観て、「ああ、面白いなあ。健さん格好良いなあ」と思って、もう一度観たいとトイレに隠れて、次の上映の回がはじまると出てきて観続けたということもありました。その後、健さんのいる国で映画の研究や勉強をしたいと思いまして日本に参りました。研究活動の中で、実際に憧れの健さんにインタビューをすることができまして、とても幸せに思います。
実は、『君よ憤怒の河を渉れ』の大ヒットにあやかって、当時の中国では、パロディ映画が作られました。それをご覧になれば、この作品が当時の中国社会にどれほどのインパクトを与えたかということがよくお分かりになるだろうと思います。一本目は、この太ったコミカルな男なんですけれども、名前はなんと高倉健が演じる主人公の杜丘と同じ漢字を書くのです。中国語で「トウ・チュウ」といいます。だから、彼はいつも誇らしげに「私の名前は主人公と同じだよ」と言いふらしているんです。相手から、「どうして日本人の真似をするのか」と訊かれると、彼は「俺の本名が杜丘なんだよ。日本人が俺の名前を真似したんだ」と言い返す場面です。
次の作品は、中国の志村けんともいえるコメディアンの陳佩斯(チェン・ペイスウ)という俳優さんが演じた北京の下町の青年が主人公とする映画です。この青年はたくさんの鳩を飼っていて、近所に迷惑をかけているんです。彼はいつもこの映画のテーマ音楽を替え歌にして歌っているのですね。歌っているのは、「誰か私の鳩に指一本でも触れたらタダではおかない」という替え歌を歌っているんです。
『君よ憤怒の河を渉れ』のラストには、原田芳雄が演じる刑事役が西村晃が演じる悪役に対して、「お前も、ここから飛び降りてもらう」というようなセリフがあったのです。日本語では、とても早口で聴き取りにくかったと思うのですけれども、中国語に吹き替えられた際には、声優さんがとても抑揚をつけて名ゼリフに仕立てたんですね。大変格好良かったので、当時の中国人がみんなそのセリフを言ってみたくなるセリフだったのです。その名ゼリフは、当時の中国のアクション映画にも取り入れられているんですね。
次は、アクション映画を一本おみせします。映画館の映写室の中で大乱闘が起きるという設定なのです。しかし、映画館では、ちょうど『君よ憤怒の河を渉れ』の上映をしているのです。だから、音声が聴こえます。最後に悪役が飛び降りた後に流れてきたのは、原田芳雄の名ゼリフだったんですね。このようなパロディ映画が作られたことは、やはりオリジナルの映画作品が中国において、いかに人気があったのかを如実に物語っているといえるでしょう。
⬜️ 高倉健や中野良子が日本のシンボルになっていた
いったいなぜ高倉健というスター俳優を軸にして、大量生産されたサスペンス映画の一つに過ぎなかった日本の娯楽作品が当時の中国でこれほど人気を博したのでしょうか。まず、その要因として、この映画の大ヒットの背景には、文化大革命という時代の終結という経緯があったと思います。1966〜1976年までの10年間は、中国は大変大きな混乱に包まれていました。そして、中国の映画産業もまた同じ状況だったのです。10年間、中国での映画製作はほとんどストップしてしまい、外国映画の上映といえば、北朝鮮やアルバニア、ルーマニア、ベトナムなどの社会主義国の映画しか上映されませんでした。だから、その10年間は10億人の中国人は精神的な飢餓状態におちいっていたと言って良いと思います。
そして、1976年に文化大革命が終わると、中国の映画製作も再開し、外国映画も徐々に公開されるようになったのです。中国の観客は、非常に猛烈な勢いで映画館に殺到しました。その結果、この映画が上映された1978〜1979年の1年間の中国の映画観客動員数は293億人だったんです。国民1人当たり28回、赤ん坊からお年寄りまで全部含めてです。それぐらいの状況の中で、資本主義国や先進国からの最新映画ということで『君よ憤怒の河を渉れ』は空前絶後の大ヒットを博したと思います。
ヒットしたもう一つの要因というのは、この映画の中で描き出された資本主義社会の物質的な豊かさだったと思います。例えば、新宿の高層ビルやホテル、豪邸での贅沢なライフスタイル、あるいは、主人公の洗練されたファッションなど、当時の中国人にしては、非常にモダンだったのです。1978年当時、中国の都市での生活者の平均年収は614元なんです。日本円にして1万円だったんですね。だから、みんな灰色の人民服をまとい、家と職場の間を自転車で往復するような毎日を過ごしていたのです。彼らにとっては、この映画に現れた先進国日本の姿は、まるで異星人のような世界だったのですね。ですから、中野良子や原田芳雄のファッションは流行の指標となって、ヒロインの真由美にあやかった美容室や化粧品が数多く出現しました。それを見た中野良子さんは「私たちが上げた経済効果は何億になるのだろう」とおっしゃっていました。
そして、中野良子さんにまつわるエピソードなのですけれども、私は日本での留学生時代にアルバイトで日本の会社員に中国語を教えたことがありまして、その際に使用した教科書が中国の大学が発行した外国人向けの教科書でした。その中の応用練習の一つとして、様々な国の人物やシンボルを描いたイラストを学生が見て、それがどこの国の人であるかを書いてもらうという課題があったのです。例えば、エジプト人であれば、ピラミッドの前にラクダを引いている男が立っていたりするようなイラストです。中国人ならば、万里の頂上の前にチャイナドレス姿の女性が佇んでいます。しかし、日本人の場合は、富士山の前にサラサラのロングヘアーの姿で、しかもワンピース姿の女性が立っているんですよ。そこで、学生から「なぜ和服じゃないのにこの女性が日本人なのですか?」と訊かれたのですけれども、実は、その女性の姿はまさに『君よ憤怒の河を渉れ』に出てくる中野良子そのものなんです。だから、1980年代や1990年代当時の中国では、日本人女性といえば、あるいは、日本人といえば、中野良子だったんです。一個人が映画で演じたキャラクターが国のシンボルになりうることを改めて実感しました。
『君よ憤怒の河を渉れ』に対する熱狂的な反応がビジュアルな次元のみならず、聴覚的な次元においても引き起こされたといって良いでしょう。とくにこの映画の場合は、青山八郎作曲の映画音楽が中国で大変な評判になったのです。というのは、当時の中国の若者の間では、ディスコダンスを踊り狂うことが流行の最先端だったんですね。だから、この映画のディスコ中のテーマ音楽は当時の中国社会の開放的な風潮にぴったりマッチしていました。そのメロディに多くの中国の若者たちが惹かれていったわけです。ジョン・ウー監督の『マンハント』(2017年)をご覧になった方がいるかと思いますけれども、このテーマ音楽がそのまま使われています。それを知った青山八郎さんは、大変喜ばれていました。しかしながら、青山さんは一昨年の春に亡くなられたので、映画の完成を観ることは出来ずに本当に無念だったと思います。私は色々と青山さんに取材をしましたけれども、自分が作曲したテーマ音楽が中国で大ヒットしたことを青山さん自身がはじめて知ったのは1987年でした。中国での10年間の内外の映画音楽のベストテンにこのテーマ音楽が選ばれて、トロフィーが中国から届けられたのですね。青山さんはとても不思議に思っていたようです。
また、映画のラストの場面では、真由美が杜丘に対して「事件は終わったの?」と訊くのですけれども、杜丘は「いや、終わりはないよ」と答えます。その当時の中国では、このやり取りを真似することが非常に流行りました。例えば、職場で1日の仕事が終わったときに、女性の誰かが映画の真似をして「終わったの?」と言うんですね。すると、周りの男性の誰かが高倉健風に「終わりはないよ」と答えるのです。そうすると、職場は笑い声に包まれて1日の疲れが吹き飛んだのですね。その後、みんな一緒に『君よ憤怒の河を渉れ』の主題歌を歌いながら、自転車で一緒に帰宅するという状況だったのです。ですから、その時代の中国人には、この映画が本当に慰めと癒しを与えたといえますね。
次のヒットした要因は、この映画の勧善懲悪的なストーリーによると思います。みなさんもご存知のように、文化大革命の間には多くの人が迫害を受けて、文化大革命後には失脚した人々の名誉回復が進んでいたわけです。ですから、この映画のストーリーというのは、無実の検事が自分の潔白を証明していくストーリーなので、それに対して多くの観客は共鳴したわけなのです。それがヒットしたもう一つの要因だと思います。
他にヒットした理由となるのが、人格者としての高倉健像なのです。みなさんもご存知かと思いますが、中国で公開した中国語バージョンの『君よ憤怒の河を渉れ』は、様々な箇所が検閲によってカットされた修正版でした。例えば、この場面の中国版をご覧いただけますでしょうか。例えば、オリジナルバージョンには、警察に追われる高倉健を中野良子が浴室にかくまい、全裸になって警察官を追い払うというシーンがありましたが、中国版では彼女が服を脱ごうとする瞬間にカットが入り、次のシーンでは中野良子の姿は消え失せて、かわりに高倉健のみが立っているという奇妙なシーンとなってます。私が10歳のときになぜ2回目を観たかというと、中野良子がどこに行ってしまったのか分からなかったのもその一因でした。
中国映画では、アメリカ式の成人向けのレイティングシステムや日本の映倫のようなシステムが存在していなかったのです。子どもからお年寄りまでみんなが観ることの出来るワン・レイティングしか存在しませんでした。ですから、暴力やあるいは、セクシャルな内容に対するセンサーシップが極めて厳しかったのです。まして、文化大革命が終わった直後の非常に閉鎖的な時代だったので、カットされたのもやむを負えないと思います。高倉健と中野良子のラブシーンは完全に削除されまして、倍賞美津子も特別出演とクレジットには載っているのですけれども、中国バージョンには全く登場していません。
加えて、裸足で逃走する高倉健が寺で他人の靴を盗んだりするシーンなど、道徳的に問題がある箇所も全てカットされたことによって、高倉健は完全無欠な人格者へ変貌したわけなんです。こうした検閲は、中国人民を資本主義的な悪影響から守るというイデオロギー的な配慮から行われたものなんですけれども、オリジナル作品の映画的完成度を損なった反面、一種の理想像として高倉健のイメージを作り上げて、それが中国における熱狂的な高倉健ブームの下地になったと思います。ですから、当時の中国では、国内外の映画の人気投票において、高倉健が常にトップの座を占めていました。いわば、国民的なヒーローでした。当時の中国人女性にとって、高倉健が結婚相手の理想像だったのですね。身長が高くて、立ち振る舞いが非常に男性的な高倉健は、どこか中国の北部の方の男性にみえるらしいのです。ですから、上海など中国の南の方の女性たちは、身近にいる男性を気に入らずに、わざわざ北の方に出かけて恋人を探すということがブームになったようです。
高倉健さんは、実は、ずっと中国に行きたかったといいます。しかし、騒がれたくなかったので行かなかったそうなんです。それを知った吉永小百合さんが「私が一員である日中文化交流協会の窓口を利用すれば、静かに行けますよ」とアドバイスをして中国へ行くこととなりました。これは1986年のことでした。その際に2人だけだと日本のマスコミに怪しまれるので、田中邦衛さんと通訳を入れて4人で北京と上海を訪問したわけです。お忍び旅行ということで、泊まるホテルもシンプルでこじんまりしたところを選んだようです。それでも健さんは中国のファンたちの熱愛ぶりを感じたようです。
健さんは、私のインタビューに答えてくれたときに、2つのエピソードを話してくださいました。例えば、中国のホテルのエレベーターから降りようとした際に、ドアが開くと、エレベーターを待っている中国人女性が健さんを見て、目を丸くして口を大きく開けて、指を指しながら凍りついてしまったのですね。声も出なかった様子でした。健さんが通り過ぎた後に何気なく振り返ると、その女性がまだ凍りついたまま健さんの方を見て、目には涙を一杯にためていたらしいのです。また、健さんは、ホテルの中の喫茶店で人目のつかない席に腰を下ろしてコーヒーを飲もうとしたときに、サクラサクラの曲が聴こえてきたので振り返って見たら、喫茶店の女性ピアニストが健さんに気づいて演奏をしたようです。このような中国の健さんファンとの触れ合いの中で、健さんは改めて中国のファンの好意を身をもって感じられて、そのことにお返しをしなければならないという強い気持ちを抱くようになったようです。
このように『君よ憤怒の河を渉れ』は、健さんを含めて、作り手が全く予想をしないところで極めて大きな力を発揮しました。この一本の映画を通して、これを作った日本側のスタッフ、その中国版の吹き替えに携わった中国側のスタッフ、そして、これを観た観客たちみんなを幸せな気持ちにした非常に不思議な映画でした。中国で公開されてからちょうど40年です。『マンハント』も作られて、その感動がこれからも語り継がれていくでしょう。それこそ映画の力、文化の力なんですね。今後もこのような両国の橋渡しになるような作品が再び作られるようになることを祈っております。ご静聴ありがとうございました。
⬜️ 劉文兵プロフィール
1967年中国山東省生まれ。2004年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。日本学術振興会外国人特別研究員を経て、現在、東京大学学術研究員。早稲田大学ほか非常勤講師。2015年度日本映画ペンクラブ賞・奨励賞を受賞。主な著書に「日中映画交流史」(東京大学出版会)、「証言 日中映画人交流」(集英社新書)など。
◼️ 『君よ憤怒の河を渉れ』(1976)
無実の罪を着せられた現職の検事が、執拗な刑事の追跡をかわしながら真犯人を追っていくアクション映画。原作は西村寿行の同名小説。脚本は『金環蝕』(1975年)の田坂啓。監督は『新幹線大爆破』(1975年)の佐藤純彌監督で脚本も執筆。撮影は『金環蝕』の小林節雄が担当。
中国では、1979年に『追補』として公開され、大変な人気を博した。2017年には、ジョン・ウー監督によってリメイク映画『マンハント』が公開された。
《ストーリー》
東京地検検事・杜丘冬人(高倉健)は、ある日、新宿の雑踏の中で、見知らぬ女(伊佐山博子)から「強盗殺人犯」と騒がれる。水沢恵子と名乗るその女は「現金20万円とダイヤの指輪を盗まれて強姦された」と叫び、その場で緊急逮捕される。別の男の寺田俊明(田中邦衛)も「この男にカメラを盗まれた」と供述。杜丘には、全く身に覚えのないことであったが証拠が揃いすぎていた。杜丘は家宅捜査の隙をみて逃亡する。
監督:佐藤純彌
脚本:佐藤純彌、田坂啓
撮影:小林節雄
音楽:青山八郎
製作:永田雅一
製作協力:徳間康快
出演:高倉健、原田芳雄、池部良、大滝秀治、中野良子、倍賞美津子、内藤武敏、岡田英次、西村晃、田中邦衛
製作年:1976年
製作国:日本
製作:大映
原作:西村寿行
カラー/2時間31分/13巻/4134m/スコープサイズ/モノラル
◼️ 中国映画祭「電影2018」
電影2018(国際交流基金)
日中平和友好条約締結 40周年記念 映画上映会(公益財団法人ユニジャパン)
[文:おくの ゆか/取材:fm GIG シネマ侍東京代行]
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