第33回東京国際映画祭『皮膚を売った男』オンラインティーチイン

ーー『皮膚を売った男』のカウテール・ベン・ハニア監督をお迎えして、お話を伺ってまいりたいと思います。こんにちは、どうぞよろしくお願いいたします。お会いできて光栄です。


ハニア監督:この度は、東京国際映画祭に、私の作品を選定してくださいまして、誠にありがとうございます。観客の皆さまに、観ていただくことができまして、大変うれしく思います。


ーー監督は、今、パリですか。午前10時半頃ですよね。


ハニア監督:そうです。


ーー早い時間から、ありがとうございます。まずは、なんとも面白いという形容、抜群に面白い物語で、現代的に非常に重要な主題を持った素晴らしい映画をありがとうございます。この作品を東京国際映画祭で上映できることを監督に感謝申し上げます。


ハニア監督:こちらこそ、作品を選んでくださって光栄です。実は、映画をご覧になった皆様がSNSなどで発信されている感想やコメントを読ませていただきまして、本当に、日本の観客に受け入れられていることをとても思います。


ーーカウテール監督のキャリアをご紹介したいと思います。監督は、チュニジアのご出身で、パリの有名なラ・フェミスという映画学校でも学ばれており、今までは、ドキュメンタリーとフィクション映画の両方を撮られていると理解しているのですけれども、ドキュメンタリーとフィクションの両方を作っていこうという思いでいらっしゃるのでしょうか。


ハニア監督:はい、今後も、ドキュメンタリーもフィクションも、両方を手がけていきたいと思っております。現在、ドキュメンタリーを手がけています。ジャンルをまたいでいると、相乗効果があり、それぞれの良さもあると思っています。フィクションでは、自分の頭の中で作った物語をそのまま具現化できます。一方、ドキュメンタリー作家として映像を作っていくのは、自分が調べたストーリーが混沌とした世界が衝突する作業をするようです。そこから、秩序立てて何かを作っていくのですが、この訓練がフィクション作品をより良くしてくれています。今は、ドキュメンタリー作品と、1本の長編のフィクション作品を考えて、その資金集めをしているところです。


ーーまさに『皮膚を売った男』には、監督のドキュメンタリーに対する姿勢がフィクションに上手く反映されていると思いました。映画の成り立ちをお伺いしたいのですが、『皮膚を売った男』は、どこから着想を得られたのでしょうか。エンドクレジットには、「Tim」に影響を受けたと書かれてありましたが、どのような作品に影響を受けられたのでしょうか。


ハニア監督:現代美術家ヴィム・デルボアによる「Tim」という作品からインスピレーションを受けて、着想となっています。このアーティストは、もともと、豚に刺青をする作品を手がけていて、そのうちに、人にも刺青をするようになりました。豚に刺青を入れている頃から、様々な議論が巻き起こっており、さらに人にも刺青を入れたことで、その是否が大きくなっていました。私がこの作品についてあれこれ考えたとき、一つは、アートという市場がある中で、現代アートがどこまで限界ギリギリに挑戦できるのかということに非常に興味を持ったのと、背中に刺青を入れらた男がいったい何者なのだろうという疑問がわきました。実際に「Tim」という作品の自らを美術品とする男性に、どういう思いがあるのだろうかということでした。そういうキャラクターを描くために、彼の背景を描き込み、彼のラブストーリーも描き込むことで、彼に人間性を与えたつもりです。ということで、シリア難民が主人公になっていますが、それには、今の難民が語られる世の中では、彼らの人間性が剥奪されてしまったり、数字であったり、統計であったり、人間性なく語られるので、人間性を描く思いがありました。


ーー今のお話に関する質問がきています。彼は保険屋として出演しているのですが、どうしてこの役で起用したのでしょうか。彼の話している内容は、実際の彼の保険の内容なのでしょうか。


ハニア監督:彼には、ぜひ、作品に出演してもらいたいという気持ちがありました。どの役をやってもらおうかと、あらゆる役を検討したのですが、最終的に保険販売員の役をやってもらうことにしました。この現代アーティストが四角四面的に国を見ていくというのが、私にとっては、非常に面白かったのです。美術作品である男が、爆発の中で死んだのであれば、それは作品として使えなくなるので、「保険会社としては、大災難だ」というようなことを言うのですが、もし、「がんで死ぬようなことがあれば、背中の皮膚を剥げば、美術品として使える」というようなことも言うのですから、プラグマティックに考えることが非常に面白いと考えました。彼も乗り気で、挑発的することが好きなので、微笑みながらやってくれました。私は、彼の保険の約款については、知らないのですけれども、あのセリフは、私の想像から作ったものです。


ーー自分が作品になることが難民としての苦渋の決断であったことが痛いほど伝わり、それが美術品として購入されることに、非常に衝撃を受けました。実際に、人がアートとして売買されるところまでいったことはあるのでしょうか。


ハニア監督:非常に色々な人生をみると、難民の人たちは、故郷を追われて、なんとか生き延びなくてはならないサバイバルな状況にあります。そのために、選択肢がないわけです。選択肢の無いことは、メタファーとして描いています。主人公は、美術品になることで自由を得ようとするのですが、難民の人には、このように選択肢が無いことを語ろうとしています。主人公が美術品になることで、自らの尊厳を失いますが、それも、尊厳を失っている難民たちの現実です。国境を越えるにしても、渡航の許可を得るにしても、非常に苦い選択を迫られるわけです。そういった一つの物語から、現実を比喩として描きたい思いがありました。


ーー難民を描く物語ですが、主人公の動機があくまでも恋人に会いたいという愛である点に魅力を感じます。愛を中心に据えることは監督にとっても重要なポイントだったのでしょうか。


ハニア監督:意図的に愛を中心に据えました。難問は、なんとかして生き延びなくてはならない状況にあり、孤独で非常に脆弱な立場に置かれていますので、家族との繋がりや自分の中にある愛や、誰かに恋焦がれる気持ちでなどが、力の源泉になるわけです。実際に、難民の人々の状況をみていると、ずっと、携帯電話を握りっぱなしなのです。それは、家族や親戚と話したいという気持ちなのでしょう。そういった状況も、この作品に込められています。私自身も、ラブストーリーが大好きなので、そういった面も語りたいと思いました。主人公が若い男性なので、若い男性には、一途に愛する相手がいて欲しいという私の思いもあります。もう一つ、意識して語りたかったのは、二つの世界の対比でした。一方では、非常に冷たく、現代アートに満ちた状況で、女性を愛する情熱的な世界を対比させたい気持ちもありました。


ーー監督は、現代アートに対して、懐疑的であったのか、この作品のためにそう描いたのでしょうか。


ハニア監督:現代アートについては、一言では片付けることはできません。本当に映画のように、コンテンポラリーアートは、非常に複雑で豊かな世界です。この映画の中では、ツールとしての見解を入れています。




《 オンラインティーチイン概要 》

開催日:2020年10月

会場:TOHOシネマズ六本木

登壇者:カウテール・ベン・ハニア監督、矢田部吉彦(MC)


[ 文:おくの ゆか ]


《 『皮膚を売った男』ストーリー 》

シリアから脱出した男が、現代アートの巨匠から驚愕のオファーを受ける。それは、男自身がアート作品になることだった。移民問題での偽善や、現代アートを知的欺瞞を鮮やかに風刺する人間ドラマ。




シネマ侍 CINEMA-SAMURAI

世界の秀作シネマを紹介! We will introduce the world's best cinemas to you on this web site.

0コメント

  • 1000 / 1000