第32回東京国際映画祭『ネヴィア』ティーチインレポート
ナポリ郊外の震災の傷跡が残る故郷で少女が強い意志を持って成長する姿を描いた初監督作!
2019年10月29日(火)、第32回東京国際映画祭(TIFF)コンペティション部門にて『ネヴィア』の上映後にティーチインが東京・TOHOシネマズ六本木で行われて、イタリアのヌンツィア・デ・ステファノ監督と主演のヴィルジニア・アピチェラが登壇し、矢田部吉彦プログラミング・ディレクターがMCをつとめた。
――ヌンツィア・デ・ステファノ監督、主演のヴィルジニア・アピチェラさん、東京に来てくださいまして、ありがとうございます。素敵な作品を本当にありがとうございます。コンペティションにお迎えできて、とても光栄に思います。お二人から、一言ずつご挨拶のお言葉をちょうだいできますでしょうか。
ヌンツィア監督:アリガトウ!ここに来ることができて、とても嬉しいです。とても幸せです。この映画を皆さんが気に入ってくれたとしたら、とても嬉しいです。何らかの形で皆さんの心に届くことができたとしたら、大変嬉しいと思います。
アピチェラ:コンニチワ!ありがとうございます。幸せです。この映画を気に入ってくれたら、本当に嬉しいです。この映画の中から、皆さんが何らか真実を感じ取ることができたとしたら、嬉しいです。私たちの演技と監督の眼差しを通じて、何かを感じ取っていただけたら幸いです。
――ヌンツィア監督にご質問します。この作品を撮られた場所がナポリで、監督はその近くのご出身だと伺っております。1本目の監督作品として、この地を選ばれた理由をお聞かせください。このストーリーがどのくらい自伝的な要素を含んでいるのかもお聞かせください。
ヌンツィア監督:このロケーションで『ネヴィア』を撮ることを決めたのは、この場所が本当に自分の場所だからです。ナポリ郊外のポンティチェッリで撮りました。ここは、1980年代にイルピニア地震があったのですけれども、いまだに当時の傷跡が残っています。コンテナで生活をしている人たちがいて、子どもたちや老人たちが非常に苦しい思いをしいられています。病気になっている人たちもいます。私自身もコンテナ生活を送りましたので、この状況をきちんと描きたいと思いました。描くことによって、何らかの形で彼らの助けになれば良いと思って、この場所に決めました。
自伝的な要素もあるのですけれども、この映画は、「教養小説」だといえます。自分を描きながらも、自分の物語からは少し離れるようにしました。自己分析をすることは、非常に難しいことです。誰も助けてはくれません。独りでやらなくてはならないこともあり、自分自身でも大変な思いをしました。幼少期の思い出がいっぱい湧きあがってきて、どうやってそれを描くかは、非常に難しかったです。それ以上に重要なのはテーマであり、この場所を描くことと、少女の成長期を描くことでした。その中で、自分の環境から、抜け出そうとする気持ちを描くことが自分にとってのテーマでした。今でも、世界ではタブーがあります。種族の中には、家族が娘の相手を決めることなどがある中、そこから抜け出そうとする女性の思いを描くべきだと思いました。その中で、何らかの希望を与えることができればと考えました。
――ヴィルジニアさんは、今回、この映画が全く初めての映画出演で間違いないかとお伺いしたいことと、どうやって、ヌンツィア監督やこの映画に出会われたのか、その経緯を教えていただけますか。
ヴィルジニア:説明するのが少し難しいのですけれども、ある晩、サーカスのような芸を行なっていて、天井から柔軟な布にぶら下がるパフォーマンスをしていたのですけれども。
――ヴィルジニアさんは、パフォーマーさんなのですね。
ヴィルジニア:お城の劇場でアクロバティックなパフォーマンスをしている様子を映画のキャスティング・ディレクターが観ていました。写真を撮って、ヌンツィア監督に送ったところ、監督が直ぐに「一目惚れ」のような感じでピンときて会うことになり、会った時点で、直ぐに私たちが同じものを持っていることが分かりました。この『ネヴィア』が心の中に抱えていることを自分も持っていることから、出会いが始まりました。
――ヴィルジニアさんとサーカスとの相性の良さというのは、実際にサーカスにいらっしゃったからだと分かり、驚きとともに面白いです。
《 Q & A レポート 》
――主人公の女性のネヴィアの名前の由来に何か理由があれば、教えてください。
ヌンツィア監督:この質問は、何度も聞かれたのですけれども、偶然に生まれた名前なんです。最初は、モーパッサンの小説から、イヴェットという名前にするつもりでいました。ただ、郊外の物語なので、イヴェットという名前はちょっとないなと思い、困ったなと考えていました。あるとき、山に行き、山小屋に入ったときに、食事の騒々しいところで後ろの方から、「ネヴィア、ネヴィア」という声がエコーのように聞こえてきました。そちらを見ても、誰もいなかったのですけれども、その名前がすごく自分の印象に残りました。イタリア語で雪を「ネーベ」と言うのですけれども、雪とも繋がることから、ネヴィアという名前にしました。映画のあと、少し調べてみても、由来は分からなかったのですが、私たちの中では、ネヴィアとは、「力や決意を意味するものである」と考えています。二人とも、水瓶座なんですよ。そういう意味もあって、「雪に由来するネヴィア」というのも悪くないと思います。
――この映画を観れたことを嬉しく思います。ありがとうございます。監督にお伺いしたいことがあります。ネヴィアがサーカスの一団に遭遇することで、物語が大きく動き出すと思うのですけれども、サーカスも自伝的な要素であるのでしょうか。なぜサーカスを選び、サーカスによって、何を表現したかったのかをお聞きしたいです。お願いします。
ヌンツィア監督:自分自身が8年間、サーカスで働いたことがあるので、自伝的な要素だといえます。素晴らしい思い出もあります。サーカスといっても、旅芸人として働いたわけではなくて、ナポリにサーカスの人たちが来たときに、一緒に仕事をしました。自分がコンテナに住んでいたときも、近くに馬の調教場があり、2歳のときから馬に触れていました。サーカスが来たときにも、馬や象との仕事もしていました。サーカスが何を意味するのかについては、「新しい世界」を意味しています。また、「仕事」でもあり、「家族」でもあります。ネヴィアには、父親も母親もいません。最初のシーンを思い出してほしいのですが、妹を連れて祖母と父親に会いに行くシーンがありましたけれども、このときのネヴィアは、「私には、全然関係ないから」と言っています。母親は亡くなり、父親は刑務所に入っているわけですが、実際には、彼女は父親と一緒にいたことがないので、父親がいないことと同じなのです。それに対して、サーカスは、楽しい世界であり、新しく開かれたビジョンを表現しています。
矢田部:サーカスというと、フェリーニ的な世界を連想してしまうのですけれども。とくに、イタリア映画とサーカスとの特別な関係への意識はなかったのでしょうか。
ヌンツィア監督:そうですね。サーカスというと、やっぱり、フェリーニだと思います。巨匠のフェリーニは、サーカスを愛していましたし、道化師のドキュメンタリーもたくさん撮っています。そういう意味では、この映画は、フェリーニへのオマージュだともいえます。とくに、フィナーレの脱走するシーンに関しては、ジュリエッタ・マシーナへのオマージュだともいえます。ジュリエッタ・マシーナは、女性の世界を体現していた人であり、自分の男であるフェリーニに側にいてもらうために、愛のために戦っていたいた女性ですので、それに対してのオマージュでもあります。
――素晴らしい映画をありがとうございました。ネヴィアをはじめ、女性たちの服がすごくカラフルで可愛いと思いました。しかし、サルヴァドーレに囲われてからは、色味の少ない服になったのは、演出として意図したものでしょうか。
ヌンツィア監督:生活する場所によって、ネヴィアの服は変化しています。最初、コンテナで生活していたときは、あの地域に住んでいる人たちが本当に着ているような服を着ています。映像では、忠実に現地の再現をしています。その後、サルヴァドーレの家に行った時点からは、彼がネヴィアの服を選んで買うわけですから、サルヴァドーレの好みになり、クリーンな感じの服になっています。他には、サーカスにも色があります。サーカスでは、青を基調にした色の世界なので、そこでも色の感じが変化していると思います。
《 ティーチインの概要 》
開催日:2019年10月29日(火)
会場:TOHOシネマズ六本木 スクリーン2
登壇者:ヌンツィア・デ・ステファノ監督、ヴィルジニア・アピチェラ、矢田部吉彦(MC)
[スチール/文:おくの ゆか]
《 『ネヴィア』ストーリー 》
©ARCHIMEDE 2019
ナポリ近郊、17歳のネヴィアは闇商売でしのぐ祖母と妹の3人で隠れるように暮らしている。殺風景な地にサーカスがやってきて、ネヴィアは興味を抱く。タフに生きる少女の姿がリアルで繊細な青春映画。プロデューサーはマッテオ・ガローネ。
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