第31回東京国際映画祭(TIFF)最優秀芸術貢献賞『ホワイト・クロウ(原題)』レイフ・ファインズ監督ティーチイン・レポート

レイフ・ファインズ監督「演技の本能をもち、ルドルフ・ヌレエフ似の素晴らしいダンサーであるオレグ・イヴェンコに恵まれた」


2018年10月27日(土)、第31回東京国際映画祭(TIFF)コンペティション部門にて『ホワイト・クロウ(原題)』が東京・EXシアター六本木で上映され、イギリスの実力派俳優でもあるレイフ・ファインズ監督がティーチインに出席した。MCは同映画祭コンペティション部門プログラミング・ディレクターの矢田部吉彦がつとめた。


矢田部吉彦:第31回東京国際映画祭コンペティション部門の『ホワイト・クロウ(原題)』にご来場くださいまして、誠にありがとうございます。これから監督をお迎えして、監督Q & Aを行なって行きます。レイフ・ファインズ監督です。


(大歓声の中、レイフ・ファインズ監督が登場すると、「ブラボー!」「レイフ!」と歓声があがる)


みなさん、あたたかくお迎えいただいて、わざわざ観にきていただいて、どうもありがとうございます。私にとっても、プロデューサーのガブリエル・タナーにとっても、大変光栄なことに思います。ありがとうございます。

矢田部吉彦:レイフ・ファインズさん、本当に新作を東京のコンペティションに持ってきてくださるという、これ以上の光栄なことはないと思っております。本当に歓迎いたします。


私たちこそ、ここに来れて、非常に光栄に思っております。

矢田部吉彦:私から非常にベーシックな質問をしたいと思います。3本目の監督作品ということで、1本目はシェイクスピアを現代に翻案したもの、2本目がチャールズ・ディケンズを愛した女性の物語、そして、3本目がルドルフ・ヌレエフの物語ということで、とても題材の選び方がバラエティーに富んでいて驚かされました。今回、どうしてルドルフ・ヌレエフを取り上げたのか、教えていただけますでしょうか。


これは、若きルドルフ・ヌレエフの話です。有名なルドルフ・ヌレエフの伝記的な映画というのではなくて、若いアーティストの時代に、自分がアーティストとして、人間として自己実現したいというものすごく強い欲望を持っている。そのストーリーなのですね。非常にダイナミックで、イキイキしたスピリット、精神といったものに非常に感動しました。すごく勇気がいると思うのです。ときには、人を怒らせてしまっても、そういうリスクを犯しても、「自分は自分になりたい」と言って、ヌレエフ自身も、たくさんの人を怒らせてきたことで有名なのですが、それでも、やはり、自分はダンサーとして完璧を目指していきたいという強いアーティスティックな欲望が勝ったということですね。また、背景として、冷戦というものがあります。イデオロギーの対比があるのですけれども、映画の中に「自分は自由になりたい」という台詞があります。それは、人間的な自由を獲得すること、一人の人間として自由を獲得することは、本当に勇気ある個人としての行動だと私は思っています。

矢田部吉彦:ありがとうございます。




《 Q & A 》


--ブラボー。本当に素晴らしい作品でした。私は個人的にバレエが好きなので、本当にヌレエフのことも色々勉強しており、本当に素晴らしい作品だったと思います。オレグ・イヴェンコさんのプリンシパルのダンスシーンは、ダンスとして楽しめて、ドラマとしても楽しめる本当に素晴らしい作品だったと思います。レイフ・ファインズさんは、今回、出演と監督、製作をされているわけですけれども、それぞれ、映画にたずさわる上で、自分の立ち位置であるとか、もし、また作品にたずさわるのであれば、他に編集などの分野もあると思うのですけれども、今後、手を伸ばしたい分野がございましたら、教えてください。


ありがとうございます。私は監督として、まだまだ勉強している段階だと思うのですね。これは、私の夢なんですけれども、もしも、また作品を作ることがあるとすれば、今度は、出演をしないで、俳優はやらずに監督に専念したいというのが、私の夢なんですね。俳優をやって、監督もやってというのは、本当に大変過ぎるので、やりたくないと思うのです。今回も、本当は俳優をやりたくなかったのですけれども、財政的な理由で出演しました。編集や他の技術もそうなんですけれども、独特の特殊な技術だと思うのですね。今回の映画も、本当にたくさんの色々な人々の技術に恵まれました。撮影監督もそうですし、デザイナーやエディターの方々、オレグ・イヴェンコさんはじめとする素晴らしい俳優さんたちにも恵まれました。本当に次は監督だけをやって、例えば、今回の映画は、私もプロデューサーの名前に連ねていますけれども、本当にガブリエル・ターナさんの実績や功績ということで、彼女のような素晴らしいプロデューサーに恵まれたからできたわけなんですね。プロデューサーとしての心配をすることなく、監督に専念したいというのが次作への希望です。

--本当に素晴らしい作品で、私は、原作となっているジュリー・カバナさんのヌレエフの本を読んでいて、本の世界も非常に伝わってきて、とても良かったです。主人公のオレグ・イヴェンコさんは、タタールの劇場のプロのソリストのバレエダンサーなんですけれども、本当に演技がとても素晴らしくて、はじめての主演だとは思えない素晴らしい演技でした。演技の経験のない方が、どうやってここまで素晴らしい演技をできたのかということと、彼を選んだきっかけなど、ヌレエフのタタール的な顔がすごく似ている部分もあると思うのですけれども、どういう風にして彼を選んだのかも教えていただければと思います。


私は当初より、演技ができるダンサーがほしいということは、明確だったんですね。そして、ロシア中で大オーディションをして、様々なバレエカンパニーやダンス学校に2人のキャスティング・デレクターが行き、色々な方に会いました。私もそのうちの選ばれた何人かに会い、最終的に残ったのは4〜5人の方でした。オレグさんは、かなり最初の段階から注目していました。最初から、かなり良い感じだなと思っていたのですね。幾つかの決め手となったことがあります。このような伝記的で、みなさんが顔を知っている人の映画を作る場合には、やはり、似ているかどうかというところが問題となってくると思うのですけれども、オレグさんは、かなり近い顔をされていて、似ているように思います。実は、彼はタタール人ではないのですね。カザンの舞踊団にいますけれども、彼はウクライナ人なのですが、タタール人ぽいところがあると思います。また、彼はスクリーンにおける演技というものを本能的に持っていたと思うのです。私が育てていった部分もあると思うのですけれども、彼が本能として持っていたので、とても理解が早かったのですね。もちろん、何度も何度もスクリーンプレイで練習をしたり、やらなければいけないことがあったのですけれども、非常に強い本能がありました。もちろん、彼はソリストでしたので、ダンスも素晴らしい。このように、私たちは、素晴らしいダンサーであり、演技の本能も持っていて、ヌレイフに似ているという素晴らしいものを持っている人に恵まれたのです。もちろん、映画を作ることにおいて、色々とたくさん一生懸命にお互いに教えあったり、働かなくてはいけないのですけれども。エディティングも助けてくれました。でも、いちばん大きかったのは、もともと彼に演技の才能があったということです。


--この度は、来日してくださり、ありがとうございます。今まで、撮影で色々な国に行かれたと思うのですが、いちばん印象に残っている国と出来事があれば、教えてください。


私は、ロシア文化に愛情を持っていまして、その中でも、サンクトペテルスブルクが非常に印象深く思っています。建築が素晴らしいと思います。素晴らしい美術館もありますよね。ですので、サンクトペテルスブルクでたくさんのシーンを撮れたということは、私の中でエモーショナルな意味があると思います。あと、たくさんのシーンがセルビアという国で撮られているのですけれども、それは、セルビアが非常に映画に対して、友好的な国だからということもあります。いちばん私の気持ちが高まったのは、ロシドニーというバレエ界では、非常に有名な通りがあるのですけれども、ロシドニーからバレエ学校に入る道をまさにヌレエフがシンプルで素朴な木の扉を開けたところが本当にそうなんですけれども、あの朝が印象深く思っています。何度もあの場所に通ったのですけれども、撮影をした朝が非常に印象深く残っています。

そして、色々なエモーショナルな瞬間が他にもあるのですけれども、レンブラントの「放蕩息子の帰還」の絵画を見上げるシーンがありますけれども。あそこも、象徴的な意味で非常に大事なんですよね。放蕩息子が外に出て、また戻ってきたということで、ヌレエフとも関連していて非常に色々な意味で大事な絵ではあるのですけれども。あれは、エルミタージュ美術館で本当に撮らせていただきました。エルミタージュ美術館では、長編映画には、使わせないというポリシーがあるのですけれども。アレクサンドル・ソクーロフの『エルミタージュ幻想』(2002年)に使われたのですね。でも、それ以降は、なかなか使わせてもらえなくなったらしいのですが、たまたま、エルミタージュ美術館の館長さんとお話をしまして、これは、ヌレエフの映画であるということ。そして、美術館全体を美しい背景として撮るのではなくて、レンブラントのこの絵について撮りたいということで説得できました。その日は、エルミタージュ美術館を閉じてもらい、レンブラントの部屋を私たちだけで撮ることができたのですね。そのときは、とても特別な瞬間でした。

そして、また、パリのルーブル美術館でも、閉館日に撮ったのですけれども。ジェリコーの絵を見上げているシーン。あれは、本当の絵なんですけれども、本当の場所で、本当の絵で撮ることができました。閉館していたので、誰もいない、自分たちだけでジェリコーの絵を見ているところを撮ったのです。実は、その曲がった角にモナリザがあったのですね。なので、アシスタントが私に「ちょっとちょっと、来て来て。見たほうが良いわよ」と言うので、行ってみたら「モナ・リザ」があったので、じっくりと自分一人で「モナ・リザ」を堪能できたのも非常に印象深い出来事でした。


矢田部吉彦:ありがとうございます。すごく恥ずかしい質問なんですけれども、ファインズさんは、どうしてあんなにロシア語がお上手なんですか?


実は、私はそんなにロシア語は流暢ではないんですね。少しは、話せるのですけれども、そんなに流暢ではなかったので、一生懸命に練習しました。ロシア語通訳の素晴らしい方がいたので、助けていただいたのと、編集過程でだいぶ修正をしました。

矢田部吉彦:ご謙遜だと思います。ありがとうございます。


--ありがとうございます。私は香港の記者です。私自身、ロシアやセルビア、クロアチア、パリなど撮影された場所に行きました。似ているところもある都市ですけれども、セントペテルスブルク以外に、お好きな街はありますでしょうか?


はい、セルビアにも何度か行って、ベルグレードでは、映画を撮ったこともあります。色々な意味で、非常に映画製作に対して友情的で支援をしてくれる国なので、ベルグレードなどセルビアにいるときは大変居心地よく、とても幸せに感じるのですね。そのために何度も行ったことがあります。

--24時間の眠らない都市ですよね。


パリは、ロケーションや撮影でも行きました。俳優さんとのミーティングやプロダクションとのミーティングでも行きました。パリは、ロンドンからも近いので、かなりよく知っている街でもあります。サンクトペテルスブルクは、何度も行ったということで、先ほどお話しました。クロアチアでは、撮影をしていないと思ったのですけれども、リマで舞台をやったことがあります。仕事ではなくて、クロアチアのビーチに夏に何度も行きましたので、ここは仕事以外でも何度か行きました。

矢田部吉彦:新作を拝見したばかりで、こんなことを質問するのは、いかがなものかと思うのですけれども、次の監督作品の構想とか、つねに頭の中におありなんでしょうか?もっともっと、レイフさんの監督作品が観たいと思ったので、ちょっとおうかがいできたらと思います。


そう言ってくださってありがとうございます。今のところは、残念ながら何の予定もありません。来年は、幾つか俳優としての仕事はあるのですけれども、監督としての構想はありません。もし、これから数ヶ月の後に、何かアイデアやストーリーに心惹かれたら、やると思いますが、今のところは何もありません。

矢田部吉彦:それでは、しばらくは『ホワイト・クロウ(原題)』をしっかり噛みしめようと思います。


アリガトウゴザイマス。


第31回東京国際映画祭は、10月25日(木)から11月3日(金)まで、東京・六本木ヒルズ、EXシアター六本木他にて開催中。イギリスのレイフ・ファインズ監督『ホワイト・クロウ(原題)』は、第31回東京国際映画祭コンペティション部門の最優秀芸術貢献賞を受賞した。日本では、2019年に公開予定。


《 ティーチインの概要 》

開催日:2018年10月27日(土)
会場:EXシアター六本木
登壇者:レイフ・ファインズ(映画監督、俳優)、矢田部吉彦(MC)

[スチール・文/おくの ゆか]


《 レイフ・ファインズ監督プロフィール 》

1962年、イングランドのサフォークに生まれる。
『嵐が丘』(1992年)のヒースクリフ役で長編映画デビューを飾る。以来、数々の重要な演技賞を受賞およびノミネート歴を持つ実力派俳優である。世界的ベストセラー小説の映画化『ハリー・ポッターシリーズ』では、最も恐ろしい闇の魔法使いヴェルデモートを演じ幅広い層から人気を得た。
『英雄の証明』(2011年)で監督デビューを果たし、主演も務める。監督第2作目『エレン・ターナン〜ディケンズに愛された女〜』(2013年)でも監督と主演を務める。本作が監督第3作目となる。


[スチール/文:おくの ゆか]



《 『ホワイト・クロウ(原題)』ストーリー 》

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共産主義下にある50年代のソ連。のちに20世紀最高のダンサーとして、世界中を熱狂させることになるルドルフ・ヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)は貧しい家庭に生まれて、バレエアカデミーへの入学も遅かった。しかし、並外れた身体能力と強い意志によって、急速に頭角を現してゆく。その激しい性格は、アカデミーの慣習と衝突することを恐れず、信念を通すためならば、教員と争うことも厭わない。そんな彼にベテラン指導教員のプーシキン(レイフ・ファインズ)は理解を示し、自宅に住まわせて面倒をみる。やがて、ヌレエフはバレエ団の一員となってパリで公演を行う。初めてみる西側の世界に刺激を受けるヌレエフの行動は、KGBに遂一監視されていた。





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