第31回東京国際映画祭(TIFF)『モリのいる場所』沖田修一監督ティーチイン・レポート
沖田修一監督「シネコンのスクリーンに山﨑努さんの顔のドアップをぜひ映してやりたいという願望があった」
2018年10月26日(金)、第31回東京国際映画祭(TIFF) Japan Now部門にて『モリのいる場所』(2018年)が東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで上映されて、沖田修一監督がティーチインに出席した。MCは同映画祭プログラミングアドバイザーの安藤絋平がつとめた。
――ひと言、みなさんへお願いします。
沖田監督:東京国際映画祭の朝からの一発目で、この映画を選んでくださいまして、ありがとうございます。短い時間ですけれども、安藤さんとこうしてお話ができる貴重な機会なので、楽しんでいただければと思います。
――実は、みなさん、残念なことなんですけれども、樹木希林さんがとてもこの映画が好きでね。「ぜひ、来たい」っておっしゃってくださってたんですよ。
沖田監督:そうですね。
――そうなんですよ。沖田さんも樹木さんから聞かれましたでしょう。
沖田監督:はい。「何か上映があったら」ということは、お聞きしていたのですけれども。
――今年の7月に樹木さんとお会いしたときに、「ぜひ、行くからね。沖田くんというのは、本当によくちゃんと人間を見ている」と。「各セリフがとても上手くて、とてもしゃべりやすい。それも、多弁ではなくて、とても良いセリフを書く本当に優秀な良い監督。しかも、人情味のある温かい監督よね」とおっしゃっていたんです。
沖田監督:本当に恐縮ですよね。
――だから、本当はここに樹木さんがいらっしゃったと思うのですけれども、ちょっと残念で、みなさんも残念だと思います。
沖田監督:そうですね。樹木さんがいたらいたで、本音がたくさん聞けて(笑)。
――結構、厳しい方ですからね。いたらいたで、結構、厳しいことを言う方なんですよ。
沖田監督:結構、厳しいことを言いますよね。
――本当に本根を(笑)。この映画は、たった1日の物語ですよね。
沖田監督:そうですね。おもに1日の話です。
――観ていると、なぜか1日の話という感覚じゃないんですよね。この夫婦の一生、この庭という小さな空間の宇宙の全てを見せてもらった気がするのです。最初から、狙いがこうだったのですか。
沖田監督:はい、そうですね。熊谷守一さんという日本の実在した画家さんの話をみていくと、やはり30年近く、自宅の庭から出ていないという伝説みたいな話があって。それを、「どんな生活をしていたのだろう」と考えたときに、1日の映画にした方が残りの長い期間を想像できるんじゃないかということでやったんですけれども。全然、庭から出ないので、映画になり辛いというか、脚本を書いて、映画が1時間くらい経っても、まだ昼ご飯を食べているので、なかなか時間がゆっくりな映画だなって(笑)。
――沖田さんの映画というのは、ちょっと時間がスッと拡張されたような映画がこれまでもそうですよね。
沖田監督:そうですね。閉鎖された空間とか、迷子になるとか、そういう人たちの群像劇みたいなところがわりと好きで、よく映画にしていったところもあるのですけれども。これまでにも山﨑努さんが、僕が前に撮った「『南極料理人』(2009年)という映画に、ちょっと似ているんじゃないか」とおっしゃっていて、「南極という環境がモリなんだろうね」ということをおっしゃっていました。家に遊びに来たというか、自分は全然そんな自覚はなくて、ただ生活をしているだけなんだけれども、そこに勝手に影響を受けたり、変わっていったりする。「そういう存在なんだろうね」ということを山﨑さんは言っていたんです。
――希林さんは、文学座で希林さんが入られたときには、もう山﨑さんは天の人のように偉い人で、「夫婦役ができるなんて、想像もしなかった」とおっしゃっていましたけれども。
沖田監督:今回、初共演なんです。僕らからしたら、何度でも共演をしているイメージがあって。
――イメージがありますよね。
沖田監督:はい、逆に僕もビックリしちゃって。
――だから、希林さんが「山﨑さんと共演できることでもすごいのに、夫婦役なんかとんでもないわ」と思ったけれども、『キツツキと雨』(2012年)を観たんですって。『キツツキと雨』は、午後に役所広司さんもいらっしゃってイベントをやりますけれども。沖田くんの作品を参考のために観て、「ああ、この監督だったら、山﨑さんとでも大丈夫かもしれない」と思ったって(笑)。どこが大丈夫か分かりますか?
沖田監督:なんとなく分かります(笑)。そうですね。「なかなかストーリーを追う映画が多いけれども、人の気持ちを描こうとしている。そういう映画が良いわよね」と樹木さんが話していて、それで出てくれたので、すごくうれしかったですね。
――『キツツキと雨』をご覧になった方はいらっしゃるかもしれませんけれども、この後にご覧になる方には、ちょっとネタバラシになるかもしれないけども、山﨑さんが「もう1回やろうね」と言うんですよね。
沖田監督:そうです、そうです。山﨑さんは、俳優さんの役なんです。
――あまりしゃべらない俳優さんの役でね。
沖田監督:はい、おびえる新人監督に「またやろう」と言う。
――『キツツキと雨』のときに新人監督といえば、新人でしょう。だから、小栗旬さんが沖田さんなのかしら。あんなドジじゃないですよね(笑)。
沖田監督:いや、あんなドジじゃないですね(笑)。ドジじゃないですけれども、本当にそういうつもりで、もう1回山﨑さんとやりたいなって思ったんです。
――山﨑さんが大俳優で、新人監督が勇気を出して色々とやったら、山﨑さんがいたく感心して、罵倒するのかと思ったら、「もう1回やろうね」って。「もう1回やろうね」がこれだったのかしら。
沖田監督:そうですね。結果的には、そうなったんですけれども。
――沖田さんがあれからまたかなり成長をした中で、もう1回できると山﨑さんは共感したのかしら。
沖田監督:成長したのだか、していないのだか、よく分からないんですけれども(笑)。そのときの山﨑さんとの撮影がすごく刺激的で、僕も「もう1度、山﨑さんと撮ってみたい」という気持ちがすごく強くあって。だから、もはや山﨑さんと撮るためには、どうしたら良いかというところから考えるところもあって。なかなか山﨑努さん主演って、ここ最近はなかったんですね。映画も結構大きくて刺激的な映画が多い中で、シネコンのスクリーンに山﨑努さんの顔のドアップをぜひ映してやりたいという願望みたいなものがあって。珍しいんですけれども、そういうところはありましたね。
――山﨑さんが主演をされるために、どういう映画を撮ろうかなというところから、企画がはじまったのですか?
沖田監督:いや、それだけではないんですけれども、あの『キツツキと雨』の撮影のときに、ロケ地がちょうど熊谷守一さんの出生地の近くだったんです。
――やっぱり、繋がりがあるんだ。
沖田監督:それで、記念館があって、撮影の合間に山﨑さんが「もし、監督暇があったら、記念館でもちょっと行ってみたら」と簡単に声をかけてくださって。僕はそのときは行けなかったんですけれども、東京に帰ってきてから、「そういえば、山﨑さんが言っていた画家さんって誰だったかな?」とずっと思っていて。そうしたら、ちょうど、この舞台となっているところが池袋の方なんですけれども、今の要町とか、あの辺なんですけれども。そこに、この庭の家のところに美術館が建っていて、そこで熊谷守一さんの絵もたくさん飾って展示してあるんですけれども、そこに足を運ぶようになって。そこで、山﨑さんがこの熊谷守一さんの役を演ったら、どうなるんだろう。面白そうだなというと興味がわいて。
――『キツツキと雨』のときに山﨑さんがポロっとおっしゃったひと言から膨らんで、もう1回山﨑さんとするとしたら、こういう映画になったということかしら。
沖田監督:そうですね。こっそり台本を書いて。
――山﨑さんには、その台本を持って行ったんですか?
沖田監督:そうですね。「どうですか?」ってことで台本を読んでもらって、本当に快諾していただいて。
――そうすると、そのときは樹木さんのイメージはまだなかったんですか。
沖田監督:そうですね。奥さんを誰にしようかという話を考えて、樹木さんの出ている映画が僕も大好きだったし、本当にダメ元じゃないですけれども、樹木さんと山﨑さんが並んでいる絵ってすごいなと。そんな絵を僕が撮っても良いんだろうかと思うぐらいで。でも、どうせだったらと思って、こっそり訊いたら、樹木さんも「山﨑さんと共演したい」ということで、「やったー」と思って(笑)。
――山﨑さんの方は、どうだったんですか?
沖田監督:「樹木さんと面白そうですね」という話をしていたんですよね。「体調は大丈夫かね」という話もしながら。
――体調はもう少し良くないときでしたよね。
沖田監督:でも、撮影中は、むしろ山﨑さんの方が暑さにやられていて。樹木さんはずっとこの縁側に。縁側に椅子が1個あるんですけれども、そこでずっと座っていらして。普通、撮影スタッフさんが準備をしている間は、俳優さんはいなくなったりするじゃないですか。樹木さんはずっとあの家にいて、撮影がはじまると、普通に役なんだか、なんだか分からないまま、住人がそのまま立ち位置に入ってきて演技をするみたいな。本当に自然な秀子さんでした。
――山﨑さんは「長く生きたいんだ」って。一緒に樹木さんと話をしていて、何か食べているときでしたよね。
沖田監督:最後の囲碁ですね。
――囲碁をやっているときに、そう言って。そのときに、ポロッと死んだ子どもの話をするのが上手いなあと思ったんですよね。
沖田監督:あれは、樹木さんのアイデアですね。
――台本ではないんですか。
沖田監督:ないんですね。いくつかクランクインのときに、樹木さんから「こうした方が良いんじゃないか」とアイデアをいただいていて。それは、のきなみ映画に生かさせていただきました。あんまり、子どものシーンについては、僕は触れない方が良いんじゃないかと思っていたんですけれども、「やっぱりこのくらいやった方が良いんじゃないか」ということでやったんです。やって良かったと思っていますね。
――あれで、ボーンとまた広がりますよね。生きる話をしている中で、死んだことがポッと出てくることによって、この二人の広がりがすごく出たような気がするのですけれどもね。
沖田監督:そうですよね。
――素敵でした。それ以外では、沖田さんとは思えないような冗談がいっぱい出てきますよね。ど頭からジュリーの歌が(笑)。「時間ですよ」の樹木さんみたいなイメージがあったり、ドリフターズの色々な話が出てきたり。カレーか何かを食べているときでしたっけ。
沖田監督:カレーうどんですかね。
――カレーうどんを食べているときに、彼女がクシャってやると、タライがボーンとね。
沖田監督:心象風景なんですけれども(笑)。
――心象風景なんだけれども、なかなかあれがね。
沖田監督:そうですね。ビックリしちゃうみたいで。
――あれがピリオドというか、スタッカートのような。何て言うんでしょうね。ずーときているところに胡椒が入ったような、唐辛子が入ったような。
沖田監督:塩の固まりを食べちゃったみたいな(笑)。
――そうそう、そういう感じの目が覚める感じがあって。
沖田監督:そうですね。一軒の家で、ずっと映画もこの家なんで。あと、そんなに堅苦しい映画を作ろうという気はなかったし、どこかでそういう遊び心みたいなものを思ったんです。
――遊び心の究極に三上博史さんの宇宙人がね。
沖田監督:画家さんの映画で、あまり宇宙人とかないですからね。
――ないですよ。しかも、そういう映画じゃないでしょう。
沖田監督:そうですね。一応、僕なりに理屈はあるんですよ。
――あるんでしょう(笑)。
沖田監督:あるんですよ。でも、あんまり説明しても、「はあ?」ってなっちゃうんで(笑)。それは想像で良いかなと。
――それで、広がり感があって、とても良いですよね。穴から宇宙に繋がっているみたいな。
沖田監督:そうですよね。
――それが埋められてしまう悲しみも含めて。
沖田監督:そうですね。あの穴が埋まるというのは、なんとも言えない仕方のなさと、時代の流れと色々なものがあるなと思いますけれどもね。
――時間が経ってしまう悲しみとかね。周りにマンションが出きてとか。
《 Q & A 》
観客A:沖田監督の作品は、虫やマンションも含めて、存在が肯定されているのを感じて、やっぱり好きだなと思います。好きだからこそ、良く見て違いが分かったり、発見できることがあると思うのですが、今回の希林さんや山﨑さんについて、現場で気付かれたことがあれば教えてください。
沖田監督:僕が俳優さんたちを毎日見ていて気付くようなことですかね。なんでしょう。山﨑さんはとにかく全然気付かないで、後々気付くことが多くて。歯が一本もないという役だったんですけれども、僕もすっかり撮影中にそのことを忘れていて、途中から「あっ、やばい。歯が映っていないかな」と思って、編集した素材を見たら、ほとんど歯が映っていなかったんですよね。(山﨑さんが)すごいなと思って。それをちゃんと意識をしてたんだと思って。僕は逆に気付かなくて、後々になって気付くことの方が山﨑さんには多かったです。樹木さんはさっき言ったように、場所にずっといて、小さなことからたくさんのことをずっと見ていたり、平気でスタッフの「あの女の子は巨乳だ」とか、すごい言ってるのだけれども、現場に入ると、急に秀子になったりとか。気付くというか、面白がってすごく見てしまう人でした。
――山﨑さんが穴の中に入っているときに、樹木さんがその辺にある花をちぎってポッと投げるシーンがありますよね。
沖田監督:あれも現場です。僕も庭の準備をしているときに、実際にはグミの木が生えているのを思い出して、グミの実を投げようと思ってシーンを書こうとしたことがあって。樹木さんが「その花を投げたら?」って言ったので、「あっ、すごい」と思って。「僕もそれを考えていた」と思って。山﨑さんやみんなで言っていたら、樹木さんが「この花で良いんじゃない」って言って、パッと投げたんですよね。撮影は、穴の底と穴の上は別の場所なので、花を投げたから、穴の底のシーンに花を持って行かなきゃいけなくて。花を摘んで、小道具になって繋がっちゃたんで、それも樹木さんの可愛らしさが見えたすごい良いシーンでした。
――上手くそういうのを沖田さんは拾い取っていますよね。沖田さんは、樹木さんが褒めていた通り、人をよく見ているんだなというご質問だったと思うんですけれども。樹木さんは沖田くんのことを「あの子」って言うんですよ。「あの子は、本当に人をよく見ているのよ」って言って、感心していました。
沖田監督:そうですね。ずっと、ちょっとでも、この二人のお芝居を見てみようというか、この生身の目で一秒でも長く見ていようという気持ちでいました。
観客B:なんでもとにかく早く色々な変化についていくことこそが、私たちの使命だみたいに感じてしまうほどの今の世の中で、本日、この映画を拝見して、非常に力強いパワフルな映画だと思いました。こういう時代に人が大事にしたいことを映像で教えてくれました。
沖田監督:ありがとうございます。
観客B:守一さんの画作については、焦点が当たっていなかったのですけれども、それも上手いなと思いました。監督がシナリオをこっそり書いたとおっしゃいましたけれども、この映画を生身の人間が演じて、出来たそのときに、台本を書いていたときと何か変化がありましたら教えてください。
沖田監督:まず、台本を書いているときは、大きなテーマというものにあまり気付かずに、ただただ、家から長い時間、外に出なかった人の生活を実際のフィクションとノンフィクションを織り交ぜて、一日に起こしていたんですけれども。僕自身も広がりを求めていく世の中だと思っていて、インターネットやなんだか分からないんですけれども、その中で、三十年の時間がすごくあっという間に思えたり、長く思えたり、距離が遠く思えたり、近く思えたり、尺度に関してとても分からなくなるなと思って。小学生のとき以来、蟻なんてよく見ていなかったし、全然そこに目線がいかなくなっていることに、僕も改めて映画を作りながら気付かされて。かといって、「携帯なんか捨てちまえ」というと、できないですけれども。今は、無くなっていくものの何かが、映画の中に意図的ではなかったんだけれども、あるようなことを撮りながら思いました。「そこに気付きながら、映画を撮りなさいよ」って話なんですけれども。あんまり、そこまで僕は考えずにいたかもしれません。だから、僕もとても勉強になりました。
――本当にすばらしい映画ですね。今のお話を聞いていると、『東京物語』(1953年)の小津安二郎の言っている時間や距離の感じと、すごく近い気がしました。本当に素晴らしい映画をありがとうございました。
第31回東京国際映画祭は、10月25日(木)から11月3日(金)まで、東京・六本木ヒルズ、EXシアター六本木他にて開催中。『モリのいる場所』は、11月23日にDVDが発売予定。
《 ティーチインの概要 》
開催日:2018年10月26日(金)
会場:TOHOシネマズ六本木 スクリーン1
登壇者:沖田修一(映画監督)、安藤絋平
《 沖田修一監督プロフィール 》
2001年、日本大学藝術学部映画学科卒業。
短編映画の自主制作を経て、初の長編『このすばらしきせかい』(2006年)を発表。
『南極料理人』(2009年)が全国で大ヒットし、国内外で高い評価を受ける。
『キツツキと雨』(2012年)が第24回東京国際映画祭にて審査員特別賞を受賞、ドバイ国際映画祭で日本映画初の3冠受賞を達成。『横道世之介』(2013年)では、第56回ブルーリボン賞最優秀作品賞など受賞。
[スチール/文:おくの ゆか]
《 『モリのいる場所』ストーリー 》
©︎ 2018『モリのいる場所』製作委員会
30年間、ほとんど家の外へ出ず、庭の生き物を観察して描き続けた伝説の画家・熊谷守一(通称モリ)のエピソードをもとに、『南極料理人』(2009年)、『キツツキと雨』(2012年)の沖田修一監督が、どこか懐かしく温かいオリジナルストーリーを紡ぐ。モリ94歳と妻・秀子76歳。結婚52年目の夫婦の周りには、なぜか人が集まり、熊谷家はいつもにぎやかだ。そんな昭和49年のある夏の一日を名優・山﨑努と樹木希林が味わい深く演じた傑作。
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